そんなに大好きという訳でもないが無調音楽や現代音楽を擁護してみる試み

もう2ヶ月近く前になりますが、こういうTogetterまとめがありました。

これに対するはてなブックマークがこちら。

このはてなブックマークでの私のコメントはこちらでした。

「なぜクラシック音楽の人口が減り続け、今も激減しているのか」をとてもわかりやすく説明→分かり易すぎると話題に - Togetterまとめ

時代とともに美的価値観は変化するので、古典芸術が厳しくなるのは仕方ない。諸行無常。俺はクラシックしか聴かない人間だけど、無理に布教する気もないし、懐石と同じように一部の愛好者によって続けばそれで十分。

2016/04/22 01:43

また、このブコメの某コメントで「よりきちんと洞察」としていたのがこのブログ記事…。

正直言うと、この記事についての私の感想は、全体的に「何だかなぁ〜」という感じでしたが、これについてのコメントはこちらです。

クラシック音楽衰退の原因と対策(4万回 PV記念): 壺中日月長

「対策:国内外の作曲コンクールは、すべて『調性音楽』で作曲するよう改正する」そういうことをやったのはスターリン時代のソ連とかナチスドイツなど独裁政権ばかり。前衛芸術の禁止は文化統制の一種です。

2016/04/22 14:50

全部は書ききれないので言いたいことの一部だけを書いたブコメです。

 

無調音楽はしばしば核エネルギーや共産主義に例えられることがあります。

いずれも19世紀終盤に予言され、20世紀前半に実現し、夢と希望に溢れた豊かな未来を約束する新発明として登場しました。

しかし、核エネルギーは広島、長崎での原爆投下による大虐殺、スリーマイル島チェルノブイリの事故による環境破壊をもたらし「共産主義」はスターリンの大粛清やポルポトの大虐殺を引き起こします。

とは言え、核エネルギーの研究はレントゲン撮影や放射線治療といった恩恵もまた生み出しました。

マルクス主義の思想は労働者の権利の保護や弱者救済の社会保障制度を生み出し、議会制民主主義を否定しない西欧のユーロコミュニズムや日本の共産党は、先進諸国の民主主義社会における有力な野党勢力であり続けています。

無調音楽についても、極端に前衛的な一部の人達は聴衆の理解を度外視した作品を書き、理解できない人からは単なる騒音と感じられるような作品も書かれました(もちろん、前衛的芸術表現の探求それ自体は一定の価値のあるものであり一概に否定されるべきではありませんが…)。しかし、無調音楽であってもなかなか美しい音楽、駄目で退屈な調性音楽より楽しめる音楽は存在していると感じます。例えば…

 

シェーンベルク:5つの管弦楽曲op.16

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この曲をイヤホンで聴きながら新宿駅の地下の雑踏を通り抜けると結構楽しそうですよね。…楽しくないですか。そうですか。

ヴェーベルン管弦楽のための6つの小品op.6

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ヴェーベルン交響曲op.21

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ヴェーベルンの音楽は、あえて俗っぽい例えをすると霧に包まれた湖というか、山奥の秘湯の露天風呂に一人で浸かっているような神秘的な美しさがありますね。…そんな感じはしないですか。そうですか。

*ヘンツェ:交響曲第3番

Henze SY03 - YouTube

*ノーノ:『力と光の波のように』

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いや〜、どちらも盛り上がると血湧き肉踊る楽しさですね。…楽しくないですかそうですか。

*移調の限られた旋法

 フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンは「移調の限られた旋法」というものを用いましたが、 

移調の限られた旋法 - Wikipedia

これは作曲者の使い方次第で調的にも多調的にも無調的にもできる代物で、ある意味、調性と無調の緩衝地帯、あるいは調性と無調の平和共存のような趣があります。

メシアン:峡谷から星々へ

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メシアン彼方の閃光

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*調性音楽を禁止さえすれば「現代音楽」ではなくロマン派音楽になるのか?

たとえばミニマリストの音楽は現代音楽の一分野ですが、「調性音楽」か「無調音楽」かといえば、あきらかに調性音楽の方に入る訳です。(「ミニマリスト」といってもちょっと前に流行った「極めて質素な生活をする人達」のことではありません。音楽でミニマリストといったら「ミニマルミュージック」のことですね)その代表者の一人としてスティーヴ・ライヒという作曲家がいます。

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どちらも1970年代後半、今から40年ほど前に作曲された「現代音楽」になるわけですが、うえのブログで

国内外の作曲コンクールは、すべて「調性音楽」で作曲するよう改正する」 

と仰っていた方は、果たしてこれらの音楽をどう感じるのでしょうか?

 

メシアンの「移調の限られた旋法」の例のように、「調性音楽」と「無調音楽」は明確に線を引いて分けられるものではないし、「現代音楽」と「現代音楽でない音楽」も、明確に線引きできるものではありません。コンクールで「これは無調音楽だから失格」「これはミニマルミュージックだから現代音楽であり失格」とか、誰が判定できるのでしょうか?

 

 

 

…で、結局何が言いたいのかと申しますと、かつて大衆娯楽の花形であった歌舞伎が時代の変化によって今は古典芸能になっているように、クラシック音楽も今では古典芸能の一種であり、博物館で飾られる骨董品、美術館に飾られる古典絵画のようなものです。それで別に良いんです。大衆娯楽の花形として復活させようとする必要などありません。

現代音楽も美術館に飾られる現代アートのようなものです。大衆娯楽ではありません。それでいいんじゃないでしょうか。

ブコメでも書いた通り私は音楽はクラシックしか聴かない人間ですが、今まで買った沢山のCDをiTunesに入れて死ぬまでスマホで聴きたい時に聴きたいだけ聴ければそれで十分です。

私が死んだ後の時代にクラシック音楽や現代音楽が滅んでもはや演奏されなくなったとしても、諸行無常だからそれで良いんじゃないでしょうか…