こんなツイートがありました。
すばらしい好記事「ソメイヨシノは軍政下で国威発揚のお祝いとして国民的行事のたびに増えていった…戦争末期になると薪不足になって桜の木も大分切られました…そのお陰で土地の好転ができて残った桜はようなった。世の中善と悪はうまく回ってますな」→桜守・佐野藤右衛門氏 https://t.co/Bq3ZVVVGFC
— 村上湛 (@PontmrcyMarius) 2018年3月27日
以下は自分のツイートのまとめ
荒川自転車道に桜堤があって、満開の時期になると本当に酷い。土手の菜の花の黄色と、突然現れるピンクのアーケード。黄色とピンクの凄まじいコントラスト。テーマパークみたいな下品さ。人造の代物であって本来の自然の美じゃない。
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2018年3月27日
この写真だと菜の花は写ってないけど… pic.twitter.com/4SBPvN3lDA
だから南関東から浅間が見える時はある種の「小さな奇跡」みたいな思いを感じる。
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2018年3月27日
ところが世間では「今日も富士山が見えた」「富士山が」「富士山が」「富士山が」「富士山の脇に夕日が」って宗教かよ。数字的に標高が日本一なら偉いんか?
だから芥川の「或阿呆の一生」の「四 東京」に出てくる「花を盛つた桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに憂欝だつた」は本当に共感したなあ。まあ正しい芥川解釈とは違うのかも知れないけれどね。
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2018年3月27日
4月と言えば世間では希望の季節扱いされているけれど、昔の自分にとっては恐怖の季節だった。新入学、必要もないクラス替え、新しい仕事、などなど。それを象徴するのがあちこちに現れて空を覆い隠そうとするピンクの襤褸布。本当に気持ち悪い。さっさと散ってしまえと思っている。
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2018年3月27日