またもツイートのまとめから。
ドナルド・キーン氏の連載は、今月のレコ芸でも紹介されていた「メロディーは死滅したのか」。久々に読んだ。アカデミー大賞がブーレーズの「グレの歌」に決まって、「わたしはいいようのない悲しみに襲われた」と書いている回。十二音技法を擁護しながらメロディが好きだと書きまくる。面白い。
— 粟野光一 (@nail_sweet) 2017年5月13日
グレの歌って完全に後期ロマン派集大成みたいな音楽で無調でも12音でもないし、巨大編成のスペクタクル娯楽超大作だと思うのだが、キーン先生には「メロディのない音楽」に聞こえたのだろうか??まさか曲を知らないで「シェーンベルク」というイメージだけで書いている訳ないと思うのだけど…
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2017年5月13日
クーベリック版のCDの渡辺護のライナーノーツ見たらレイボヴィッツが著書でグレの歌の旋律をRシュトラウスやドビュッシーよりずっと優れていると絶賛している部分の引用がある…
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2017年5月13日
まあ確かにキーン先生の原文を読まずに憶測で言ってもしょうがないのだが…キーン先生は確かベッリーニあたりの前期ロマン派イタリアオペラが好きだったから、その感性だと独墺後期ロマン派あたりはメロディに聞こえなかったのかもしれない…
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2017年5月13日
中央公論文庫で該当の文章『メロディーは死滅したのか」をザッと読んだが、やはり単なるキーン氏の個人的趣味の主張でしかなかった(笑)。何を「良いメロディー」とするかは全く個人の感性の問題であって、私の耳にはロッシーニより「グレの歌」の方が遥かに美しいメロディで溢れているように聴こえる https://t.co/Yt70kuedX8
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2017年5月14日
ちなみにツイッターでは新しいものが上に表示されますから、ここでは逆に矢印は上向きだと考えて頂けると助かります。
で、結局、何をもって「美しいメロディ」と感じるかは本当に個人の趣味の問題でしかないんだなあと感じざるを得ない訳です。
例えば完全に十二音技法で書かれているシェーンベルクの弦楽四重奏曲第3番、4番あたりについて「メロディがない」というならまだわからなくもないのです(個人的には、弦楽四重奏曲第3番、4番あたりについてもメロディはあると感じますが…良いメロディかそうでないかは別として)。
しかし「グレの歌」なんて完全に後期ロマン派音楽であって、これを「メロディがない」みたいに感じる感性は私には理解できません…
キーン氏は件の文章でシェーンベルクを貶した後でロッシーニを始めとした前期ロマン派イタリアオペラの「メロディ」を讃えるのですが、
私の場合、ドヴォジャークの交響曲からクラシック音楽を好きになり、その後チャイコフスキーやマーラー、ブルックナー、ブラームスなどからクラシック音楽の世界に入って行き結局、前に書いたようにレーガーとかシェックとかマルクスといった後期ロマン派の寂れたどん詰まり終着駅みたいな音楽が好きになってしまったタイプなので、何だかんだで19世紀後半から20世紀初頭の音楽のメロディが最も自然に楽しめるメロディだったりします(後には古典派音楽や前期ロマン派音楽の良さも解るようにはなりましたが)。正直言うとオペラならドイツオペラやロシアオペラの方が好みです。
これは別にどれが偉いとか正しいとかの話ではなく、完全に個人の趣味、感性の話なんでしょうね…。実際、私の耳にはロッシーニのオペラよりブルックナーの交響曲やシェーンベルクの「グレの歌」の方が美しい旋律が多いと感じるのは事実ですし、「メロディは死滅したのか」という文章の冒頭に「グレの歌」を出す感覚は本当に理解し難いです…
5月30日追記
今ごろになって思うのだけれど、キーン氏は結局音楽を聴くときにほとんど旋律しか聴いておらず、和声や対位法、あるいはそれらが組合わさって生み出される全体の響きや音色の妙は聴いていないのではないか?…(などとエラソーなことを書いてみる。とはいえ現時点での本心)。 https://t.co/KeRDJdYauf
— Der Schwanendreher (@Schwanendreher1) 2017年5月30日